大量殺戮所キリング・フィールド
トゥールスレン虐殺刑務所の審査で死刑と判断された者が運ばれる場所がここ、キリング・フィールドです。
クメール・ルージュに対する反革命者や、過去に先生や警察官をやっていたりと、比較的優秀な頭脳を持っている知識人と判断された場合、あるいは彼らの兄妹など血縁を持った者と判断された場合は、即死刑という理不尽な審査だったようです。仮に該当する場合であっても、口を閉ざしていれば刑期が延長されていくものの、長くても2〜3ヶ月で結局は全員が死の宣告を受けていたようです。
入口の門をくぐって右の方へ抜けると博物館が見えてきます。ここでは、クメール・ルージュの党首、ポルポトやトゥールスレン刑務所の所長の経歴や写真が主に展示されていました。
この日は憎たらしいほど快晴で、敷地の中央にあるカンボジアの旗がきれいにはためいていました。
この穴が遺骨が発掘された跡です。まだ発掘されていない所が数多く残っているようで、今後埋葬される予定だそうです。
子供を処刑するときは、子供の足を掴んで木にぶつけて殺していたようです。木が成長した分、上の方にぶつけた跡が見えます。
何も無いスペースの周りを柵で囲んでいたので、なんだろうと思っていると、歯が落ちていました。
ナイフ不足なのか、この椰子の木から採れた皮でも首を切っていたようです。確かに、触った感じではナイフのようにスパッと切るのは難しくても、その気になれば簡単に切れそうだと思いました。
なぜ銃を使わないでナイフなのかというと、音が響いてしまうからです。また、悲鳴などをかき消すための大音量を発するマジックツリー(といっても木の中にスピーカーを埋め込んでいるだけ)も設置してありました。
クメール・ルージュの処刑人も、処刑対象が知り合いだったり親族だったりして処刑を拒むと、逆にさらし首にされていたようです。この建物の中にはそんな首がない遺体ばかりだったようです。
これが発掘された遺骨が納められている慰霊塔です。
とても静かで厳かな場所でした。
20-40代の犠牲者。赤いシールが男性、青いシールが女性のようです。
今回の訪問を通して、社会主義という名目で同じ国民同士で殺し合いがあった、という事実がどーんと重くのしかかって来ました。
ガイドのMengさんとの雑談で、さりげなく出てきた話なのですが、なんとMengさんのご両親はクメール・ルージュが引きあわせた結婚だったようです。それを聞いた瞬間、なんとも言えない空気になりました。
クメール・ルージュは、家族や結婚といった制度を破壊し、強制的に結婚→出産させ、子供に都合の良い教育を受けさせていました。幸い、Mengさんはクメール・ルージュが解散後に産まれ、難を逃れたようです。Mengさん、貴重な話を色々とありがとうございました。
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